モノが増えると散らかってしまう、片づけられないと心がざわついて落ち着かなくなってしまいます。
このような人の心を背景に、「片づけ」は大きなテーマとなっています。しかし、「なぜ片づけないといけないのか」ということを明確に説明してくれた本や考え方に巡り合えません。
人が片づける理由がわかば、片づけの方法や考え方も整理されるはずです。
モノの量と散らかり度合い、散らかっていく過程から散らかる状況を追ってみました。
幸いなことに、本来、人間は片づけないと気がすまない動物のようです。
「人はなぜ片づけないと気がすまないのか。片づけの心理を知る」
この希望を胸に片づけを考えます。
職場や生活シーンでの散らかり度合い
職場
職場では、よく整理整頓された人と床の上まで書類を積み重ねている人の両極端が見られます。よほど、経営層で片付けを徹底させない限り、この状態が生じます。
散らかっている人は、よく、「自分にはどこになにが置いてあるか把握している。」と言います。実際そのような人もいますが、書類などは会社の共通のもので、社員だれでもどこになにがあるかわかるようにしておかなければなりません。
同じような仕事をしていて、デスクまわりが整った人もいるのですから、これは理由でなく、言い訳です。
個人の生活シーン
個人の部屋の中は他人の目にさらされにくいことから、その人が片づけられる人がどうかがすぐに分かります。
よくある傾向としては、モノの量が多い部屋は片づけられない人が住んでいる、テーブルの上に不要なものが乗っている部屋は散らかっている場合が多いことです。
部屋が片づいていようと、散らかっていようと、ほとんどの人が「片づけ」に心を砕いています。その結果、繰り返し片づけブームが来るたびに、飛びついてやってはみるものの、ダイエットのリバウンドよろしく元に帰ってしまうのです。
現在のトレンドは、「断捨離」「こんまりのときめき」「ミニマリスト」あたりでしょうか。
いずれも、多くなりすぎた身の回りのモノを捨てることが前提になっています。モノが多すぎると良くないというのは共通しています。
モノの量と散らかり度の関係を考えてみたいと思います。
モノの多さと、散らかり度合いの関係
モノが増えてくれば片づかなくなることは、みんなが認識しているようです。
「モノの量」と「散らかり度」との関係を考えてみました。
X軸をモノの量、Y軸を散らかり度とします。
モノがなければ、散らかりようがないので、ゼロがスタートになります。
二つの関係を独断でこのような曲線にしました。
汚部屋限界点
モノの量が増えてくると、どこかで「汚部屋限界点」に到達します。これを突き破ってモノの量が増えていくと、散らかり度も急激に増加し、汚部屋へまっしぐらです。
快適な領域から散らかった領域へ
モノの量が相当に少ない時は、「モノがない領域」になります。昔の日本の家を想像してもらえばいいでしょうか。全ての「畳」が見える状態です。布団は昼は押入れの中、服(着物?)は造りつけのタンスの中。個人がモノを所有しにくい時代ではこのような状態が維持できたでしょう。
モノが増えてきても、ある程度は収納場所にも余裕がありますので、快適な状態でいることができます。それを過ぎて、モノが増えてくると、散らかり度も上昇し、部屋は散らかった領域に突入します。
片づけの「気づき」
ほとんどの人は、汚部屋限界点に達する前に、「このままではいけない」と「気づき」、散らかり状態から脱して、快適領域へ戻るべく「片づけ」を始めます。
片づけでモノの量が減って、部屋は快適になります。しかし時間が経つと、モノが増えて来るので、散らかり度も上昇し、また「気づく」わけです。「今の私の部屋は散らかっている、快適でない。片付けをしないといけない」と。
人は、散らかった領域への突入、「気づき」、片付けを繰り返して生きて行きます。
そして、どうにかして、このループを抜け出そうとして、片付けの本を読んだり、片づけの考え方を学ぶのです。
断捨離でモノのない領域に帰って、それが満足でその状態が維持できれば、その人にとっては幸せです。
しかし、ほとんどの人は、そこまでモノを減らせないし、減らしてもモノがまた増えていって、片づかない状態がまた、やってくるのです。
モノの多さと、片づけ度合いの関係からの結論
モノが増えてくること、散らかる度合いは相関関係にあるようです。物質文明の中にいてモノを全く増やさないのは難しいでしょう。モノが増えすぎて、片づけの必要性に気づくと「大掃除」になります。
私は、大掃除はエネルギーと時間を集中投資する割には、得られるものが少ないと考えています。大掃除が有効ならなぜ大掃除を繰り返すのでしょうか。大掃除でモノの量が爆発的に減りましたか?どこかへ突っ込んだだけではないですか?
モノの多さと、片づけ度合いの関係から見えてくる一番いい片づけ方は、「気づき」になる前に、ちょこちょこと片づけるノウハウを身に着けて、快適な領域にいつもとどまれるようにしておくことでしょう。
これを、「片づけの習慣」を身につける、と結論づける人もいます。私はこれは違うと思います。習慣は日常の生活の中で無意識に行うものであり、マズローの言う「モノからの片づけ要請」を受けたものではないからです。
「成功のために行動を習慣化する」ことは、非常に有効です。しかし、片づけを習慣化に結びつけることは、日常で必ず出てくるシーン、例えば、帰宅したら自分の持ち物を所定の場所に返す、など以外では有効な考え方ではないと思います。
まとめ
人間はその心理から、片づけなければ気がすまない生物のようです。それでも、散らかってしまうのは、モノの量が増えていくと、日常の片付けでは追いつかなくて、散らかる量がコントロールできなくなるからです。
散らかってしまう根本原因は、モノの量が自分の片づけ能力を超えて増えてしまうことでした。
モノをコントロールできる量に押さえて、人間の「片づけて満足する心理状態」を継続していけるとキレイに片づいた部屋でゆっくりと過ごせるようになりそうです。
コメント